アメリカ留学記~赤毛のサラの作り方~

 

*この留学記はブログ「吉住さと子 みゅーじっく のおと」に連載されていたものをまとめて載せています。
まだ引っ越しの途中ですが、公開しつつ編集しております。ご了承ください。
序章 1982年 サラ24歳 空へ 


 そもそも私が、英語だいっ嫌いなわたしが、なぜ当時まだ流行ってもいないアメリカ留学をすることになったか? 

 

 中学一年のときクリスチャンになったわたしは、(家族は典型的な仏教です)、高校生のとき、将来宣教師になりたいと願うようになりました。それで卒業したら神学校(日本の)に行く予定だったのが、諸事情で延び、就職してお金を貯めながら機会を待つことになり、土木設計事務所で設計助手として働きました。
 
 そしてあっという間に24歳!当時通っていた教会の宣教師から、「今から日本の神学校に行ってたら、海外にいくころには、もっと年をとって外国語の習得が難しくなるから、いっそアメリカの神学校に行きながら、英語も覚えましょう。私の母校に紹介状を書いてあげます」「えぇ~?!」ということで一気に話はアメリカ留学へ。

 

  安月給の中からかろうじて貯めた、飛行機の片道切符代と一年分の授業料を握りしめ~♪(わぁ、歌の歌詞みたい。ちなみに現在は法律が変わって、往復の切符代と卒業までかかる全費用の残高証明がないと、留学許可が出ません。あしからず)「なんとかなるさぁ~」と空の人となったのでした。
 
 初めての飛行機。もう完全に旅行者やってました。持って帰れる物は全て持って帰り、(機内食のチーズの包み紙から、気分悪くなった時の袋から、何もかも)写真は撮りまくり・・全部スクラップブックに貼ってます。あぁ~なつかしい。

 

  アメリカに着いてからの一ヶ月間も、何もかもめずらしいし、日本語話せる宣教師一家と一緒だったから、安心だったし、それまではあんまりあこがれてなかったアメリカに、すっかり恋してしまいましたね~そして、あっという間に九月の新学期を迎えることに。

 

  寮に荷物を運び込み、去っていく宣教師家族に手を振って、振り返ったとたん、私は目が覚めたのでした。まるで、吹き替えなし、字幕スーパーなしの外国映画を見ているみたい!

 「全然わからん!助けてくれぇ~!!!」
 しかし、ひきつっている心とは裏腹に、顔はジャパニーズ・スマイルをにっこりとうかべて、途方にくれた私でした。いよいよ戦闘開始です。

 

 

第1章  カレッジ入学  アメリカ留学記

 入寮したのは、真夏の西日がガンガン照りつける四人部屋でした。二つの二段ベットが部屋の両側にあり、作りつけの机とクローゼットがひとり1セットずつで、部屋は満杯。二部屋が洗面台とトイレ&シャワーの有る小さな通路でつながっているという面白い造りでした。だから、実質8人部屋?(この変わった構造のせいで、時々大騒ぎになるのですが・・)私は少し遅れて受付したので、便利な下のベットは全部埋まっていて、上の段にとりあえず持てるものは全部持ってよじ登って、しばらくボーゼンと周りを観察しました。

 まあー、そのうるさいことうるさいこと。興奮したアメリカのティーンエイジャーの女の子たちが、何十人も何かをマシンガンのようにケタタマしく叫びながら、フロア中の部屋を行ったり来たり。わたしといえば、訳も分からず、枕をかかえて、これからどうなる事かと怯えてました。その時、一人のちょっと落ち着いた雰囲気の子が、シャワーから出てきて、髪を拭きながらすっきりした顔で、`Much better`(マッチベター)と言ったんです。
 すぐには分からないので、頭の中で一語一語翻訳。「えーっとマッチはたくさんで、ベターはより良いだから、今まですごく暑くて気持ち悪かったけど、すっきりして気分がずっと良くなったわー、って言う意味だ。分かった。うれし~い!」こんな調子でした。
 
 浜崎あゆみ似の彼女の事、今もよーく覚えています。親切だった彼女は、実は上級生だったのに間違ってフレッシュマン(1年生)の寮に登録されていたので、残念ながら1週間で上級生用の寮に引っ越してしまいましたが。

 そうこうしている内に、みんなさぁっといなくなり始めたので、慌ててついていきました。夕食のためにカフェテリアに行く時間だったのです。
見よう見まねでお盆をとり列に並んでいると、みんなにこにことなにやら話しかけてきます。後で分かりましたが、陽気なアメリカ人は、みんな自己紹介をして友達をバンバン作るんです。久しぶりの人同士、ハッグやらキスやらもう、どこを見ても挨拶だらけで、食堂内はハチの巣箱かって思うほど。
 
 でもなにを聞かれても、「イエス」も「ノー」も言わず、ただひたすらニコニコ笑っている私・・。2,3年たって英語にも少し慣れ、ジョークのつっこみも出来るようになった頃、「あの頃のキミはおもしろかったなぁ~。いつもスマイルだったから、てっきり話わかってると思ったら、全然だったんだもん」とよくからかわれました。ふーんだ、人の気も知らないで。日本に来てみろ。天神の街ん中置き去りにしてやるー!とは言うものの、将来宣教師として外国に行くために勉強している人も多かったから、みんな結構優しかったですよ。留学生も多くて、電気ポットやら、電子レンジでいろいろ料理作って夜中に食べたり・・・。

 そして、入寮3日目、入学式の終わり、いよいよクラスがスタートしました。朝7:30、1時間目の授業開始(早!)5時間目が終わると午後1時。昼食をカフェで食べると、午後から仕事に行く人が多いのです。大学の授業料は自分で払うという人が、アメリカの大学は多いみたい。だがら、本当に勉強したい人が行くという感じ。社会人になって、また、定年退職や、兵役を終えて入学という人もいるので、年齢も経歴も多種多様。当然授業も活発なディスカッションが多く、授業も自由に選択できる科目が多いのです。宿題も小論文形式で、本を読む量も半端ではありません。
 
 そして私は・・・初日から全くお手上げ。教授の講義が全く聞き取れない。(やっぱりね)ここで、皆さんに疑問が「なぜ、こうも英語が出来ない人が、大学に入れるわけ?向こうの大学ってそんなに簡単に入学出来るの?」ね、思ったでしょう?お答えします。

 今はシステムが大分変わったけど、(向こうでトラブルになった留学生がいっぱいいたらしいので)あのころは、TOEFL(英語圏に留学する人に課せられる英語のテスト)の代わりに、ACTテスト(高校卒業時に受ける学科試験)を受けることが出来たのです。ACTを自国で受けられない生徒は、紹介状と中学、高校で英語を就学した証明書でも良く、大学に入る時にACTを受けて、その結果で英語の授業のレベルを決めたり、教養科目を飛び級したり出来ました。

 だから、私もACTを受けた口なのですが・・解けたのは数学だけ、しかも数式が書いてあるぶん。だって文章題だと問題が読めないんだもん。かくして、入学は許可されたものの、英語は単位なしの入門クラス。でも、文法だったのでこんな私でも楽勝。常にトップで、いつも先生にすごくほめられた。「ゼンゼン話せないサトコがこんなにがんばってるのよ。みんなも頑張りなさい」ってね。なんせ中学英語だもん。優越カーン!
 でも、他のクラスは・・・涙の次号へ

「あめりかアルバム no.4 涙の追試」  アメリカ留学記

 英語まーったくダメ女を自称していたワタクシが、最初の授業に用意していたもの、それは・・「ワタシハ えいごガ、ヨク ワカリマセーン。アナタノ のおとヲ、ミセテクダサーイ(適当に英訳してください)」のカンニング・ペーパーでした。

 まずぐるっと教室を見回して、目ざとく優しそうな人を見つけ、すかさず隣にすわり、(最初の授業で好きな席を選べ、そして一学期間、同じ席に座るのです)、例のメモ紙見ながら「ワタシハ・・・」と言って、ノートを借りてすぐコピー。一言一句辞書で調べて翻訳し、それから宿題、という手順で毎日夜中まで勉強の日々。(受験生の時だって、こんなに勉強したこと無い!)几帳面な友人などは、先生のジョークまで書いてるので、みんなが寝静まった寮で、声を殺して笑い転げたこともありました。

 そうまでして勉強したのに、小テストの時は、0点!だって先生、問題読み上げるんだもん。わたしヒアリング力、ゼロですってば!(いばるなっ!)トイレで5分間泣いて、5分で化粧を直し、次のクラスへダーーーッシュ!若かったねえ。やがて、つたない英語で「ワタシハ・・」と訴え、放課後、毎日追試を受けることに。先生のテスト問題の走り書きを見せてもらいながら、辞書ひきひき。でも・・・センセーイ!字がキタナクて全然読めませーん!

 語学力不足を想像力とカン(当たってたかどうか、かなり怪しい)で補う日々の留学一年目でした。

「あめりかアルバム no.5 音楽クラス三昧」  アメリカ留学記

 かくしてわたしの留学一年目は、慣れない英語との戦いに明け暮れたのでした。
 一ヶ月もすると、頭はパンク状態。ひび割れた脳みそから、行き場を失った英語がぽろぽろとこぼれていくのが聞こえる気がするほど、疲れて眠れなくなってしまいました。「こりゃいかん」と思い、必須科目とは関係ないクラスをいくつか取ろうと、スケジュール変更期限ぎりぎりで、自由選択科目枠を目いっぱいつかって、音楽のクラスを取ることにしました。日本の大学は、音大や芸大と普通大学が分かれているみたいですけど、アメリカの大学は一緒のキャンパスのなかにあり、希望者は別の学部も受講できるのです。

 そして毎日、聖歌隊、アンサンブル、音楽通論、音楽史、などなど、音楽三味の日々をおくることになり・・アドバイザーの先生からは「取りすぎだ!今にパンクするぞ」と脅されながら(もうしてるし)。でも、お腹からいっぱい声をだして、ストレス解消になりました。歌の英語は話すよりずっとゆっくりだし、先生が発音を直してくださるので、私の英語もだいぶん相手に分かってもらえるようになりましたしね。
 
これが、わたしと音楽の再会でしょうか?(ピアノ小さい頃やってたけど、バイエル小学1年であきらめて以来です)もう25歳になってました。宣教師になるべる教会教育学を専攻していたわたしには、密かなたのしみが。それは、音楽科の生徒でなくても、歌のクラスを取れば、2年生から個人レッスンを受けるチャンスがあるのです。
 
 ところが、わたしが2年生に上がったとき、あまりにも個人レッスン希望者が多かったので、受けられるのは音楽科の生徒だけと、規則が変わってしまいました。
 どうしよう、このままあきらめるか・・ついに決断。教育学と音楽の2学部同時専攻という恐ろしいことになりました。教養学部は共通ですので、実質1.5倍の単位を卒業までにとることになります。論文に加えて、卒業コンサートもすることになるので、4年で終わらず5年かかることに。おかげでホームシックに浸る間もない日々が続きます。
ほんとに卒業できるのかなぁ?

「あめりかアルバム no.6 真夜中の朝食」  アメリカ留学記

 私の行った大学は、私立のクリスチャンスクールだったので、規則もとっても厳しくて、授業は男子学生はスーツにネクタイ、女子もワンピースやスーツにハイヒール。ジーンズなんかとんでもない!という校風でした。でも、時々あるのですよ。さっすがアメリカ!みたいなイベントが。

 ある真夜中、ルームメートから叩き起こされて、「ほら、アンタもすぐに準備して!」と言って渡されたのが、ナイトガウン。(たとえ、女子寮でも、廊下をパジャマのままではウロウロ出来ないほど、キビしい)「なに?火事?」廊下に出てギョッとしました。そこには、頭にカーラー、または寝癖でもじゃもじゃ頭の女の子がいっぱい。よく見ると、わざわざムースで髪を逆立てているみたい。おおきなぬいぐるみを抱えている子もいれば、パックでオバケのように顔を真っ白にしてる子、口のまわりに歯磨き粉を塗りたくり、歯ブラシとコップを手にしてる子・・・。そして、みんな大騒ぎしながら学生食堂のあるカフェテリアへ。

「ちょっと!そんな格好で外に出ちゃいけない規則じゃ・・!?」でも先頭切って走ってるのは、寮母さん役の上級生!

 カフェに着くと、いるわいるわ、パジャマにシェービングクリーム塗りたくりの男子学生たち。500人ぐらいの寮生で超満員のカフェは大騒ぎ。

 ふと見ると、ウェイター用のエプロンとボウシをかぶっているのは、いつも超キビしいと評判の○○教授!!見渡すと朝食の給仕をしているのは、大学の先生方。えらそうにふんぞり返っている生徒たちのテ-ブルを回って、コーヒーやオレンジジュースのおかわりを「いかがですか?」なんて、ついでます。そして、いつもエラそうにしている生徒指導の教授を、食器洗い用のベルトコンベアーに乗せ、ホースで水をぶっかけて、クレージーナイトはめでたく終わったのでした。

 これが、この大学の名物、「ミッドナイト・ブレックファースト(真夜中の朝食)」だと知ったのは、あとでルームメートから聞いてから。「だってアンタ、あんまり英語わかんないから、説明してもムダとおもってぇ」だって。あーびっくりした!

さすが、アメリカです。遊びのケタがちがう!

「あめりかアルバム no.7  とらいあうと?」  アメリカ留学記

そうこうしているうちに、アメリカに留学して早2年。英語は・・・

相変わらずうまくならない(驚!)

 というのも、意外と真面目だった私は、わき目もふらず勉強、勉強の毎日。学校、図書館、練習室、寮の学習室の往復で、友達と話すヒマもない。人と話すのは、授業や宿題について質問する時だけ、という寂しい状況。

 当然、英会話は上手にならない。聞き取れないから、読み書きに頼るしかない悪循環。う~ん、これじゃイケナイなあ~、と思っている時に、事件は起きた。

 聖歌隊の授業が終わって、友達が「サラ(私のアメリカでのニックネーム)も
try out受けるでしょ?一緒にサインアップに行こうよ。」

とらいあうと?頭の中で翻訳。try=試す、out=外へ・・・何じゃそれは? と思いつつ、聖歌隊のディレクターのオフィスに行く。

 この先生は前学期に赴任してこられたばかりだが、ミシガン州立大学の指揮科出のすごい先生。指示が明確で歌い易く、私はとても気に入っている。

ドアには見慣れたサインアップシートが貼ってある。実技の試験のあるクラスの場合、その紙に自分の受けたい時間にサインをしておくのだ。

 「あれっ?聖歌隊ってテストあったっけ?まあいいや。とりあえず、サインしておこう。」と、知ったかぶりして内容も確かめずサイン。

決められた時間に行くと、発声練習らしきものをして、好きな賛美歌を1曲歌う。「ん?ちょっとキーが低いな・・」
伴奏者に頼んで、高くしてもらい、もう一度歌う。

 ディレクターがニッコリ笑って
うん、キミは僕のファーストソプラノね←意味不明


 数日後、音楽学部の掲示板前に人だかりが。何だろうと思って近づくと、皆は私を見て口々に、
  
   おめでとう!  おめでとう!
 
     ん?何がメデタイんだ?

 天才の呼び名が高い木管奏者のマイクが、「サラ、一緒にツアーに行けるね」と話しかけて来た。陰でこっそり聞く。
 
      ツアーって何のこと?

 「えー、知らないの?大学が今度新しく募集した、プロモーションのためのゴスペルアンサンブルの一員に選ばれたんだよ。奨学金が出るから、授業料も寮費も全額免除になるし、夏と冬のツアーには、ボーナスも出るんだよ!来月から早速、近隣の州を回り始めるから、忙しくなるよ。」

 はあ~!トライアウトってオーディションのことだったのね?! 大変なことになってしまった・・・

「あめりかアルバムno.8 初顔合わせ」  アメリカ留学記

 前回の『知らずにオーディション合格!?』のショックから立ち直る間もなく、アンサンブル第一回目のミーティングに参加。

 指定された教室に行くと、小さい部屋は十数名の男女学生で一杯。顔ぶれを見て愕然とする。言わば・・・歌科のエリート集団。チャペルや大学の大きな行事でソロを歌う常連組。中にはセミプロとしてすでにスタジオ契約している子もいる。

  場違いだ!

と思って、逃げようと回れ右したら、先生が入って来て閉じ込められる。

万事休す!

 山のような楽譜とツアーの日程表が配られ、とっとと説明が始まる。
 
 学校の代表として行く訳だから、音楽的にも学生としても模範的であることを求められる。故に・・・
 
 ツアーを理由に成績が下がったり、遅刻・欠席をしたり、素行に問題が有ったら即刻クビ・・・ 
 
 みたいな説明があって、「はい、サインして」と紙がまわってきた。いつものクセで、内容も読まず流れでついサインする。

(注:良い子はマネをしてはいけません。アメリカは契約社会なので、契約書にサインをする時は慎重に!!)

 すぐ、練習が始まる。

 歌うパートの発表。男女各3パート2名ずつ、計12名編成。
それぞれのパートの2名が二手に分かれることもあるので、上がファースト、下がセカンドになる。つまり、もし全員が分かれたら、12パートになる。(こんな複雑な曲は聞いたことがない!)

 で、私の担当は、ファーストソプラノ(出た!分からないヒトは、前回の留学記を参照)。つまり、12パートの一番上!!

    ・・・・・マズイ、目立ちすぎる

と慌てる間もなく、即刻初見で譜読み。

        う、上手い!!

 みんな、さらっと歌って、絶妙なハーモニーを作る。気持が良い。だんだん、「このまま参加してようかな」という気になってくる。
 私はといえば、ソプラノだからメロディが多いのは助かるが、発音の分からない単語が多すぎで、ほとんど母音でごまかす。・・・冷や汗が出る。

 しかし、一体何曲あるんだ?えらく多い。

      15曲?!ひぇ~!
 
  ココロの中で叫ぶ。(イメージ画像:ムンクの『叫び』)

      じゃ、一ヶ月で暗譜しとくように

という爆弾宣言を残して、ディレクターは消える。
目の前がクラクラする。

          しかたがない。
     睡眠時間をまた削るかぁ~!!!!
 

「あめりかアルバム no.9 ツアーバスにて」  アメリカ留学記

 あっと言う間に、準備期間は過ぎ、気がつけばツアー初日を迎えた。

 この激動の一ヶ月の記憶があまりない。それ程忙しかった。

 なんとか15曲を頭に叩き込み、クラス変更を期限ぎりぎりで申し込んで、単位数を少し減らした。(もともと常に多めに取っていたので、問題はない。)キャンパスの中でアルバイトも始めていたので、調整もすませた。

 問題は宿題だ。図書館での調べ物や、練習室での実技課題が多いので、ツアーに持っていくわけにはいかない。ほぼ毎日、半徹夜の状態で課題をこなす。平均睡眠時間は、2~3時間というところ。

 金曜のクラスが終わると、寮に2泊3日分の荷物とマクラを取りに行き、すぐに学校のバスに乗り込む。男子は機材も積み込む。

 オールナイトでバスで移動し、目的地に着くとすぐ機材をセットし、コンサートをする。終わると、また積み込み、次の目的地へ。土、日で多い時には、5つのコンサートをする。そして、月曜の朝、2時ごろに学校にもどり、仮眠を取って、7時半のクラスへ・・・

 こうして書くとかなりハードだが、けっこう楽しかった。
 みんな退屈してくると、誰とも無く歌いだす。OO風に~などとコピーも始まると、もう、物まね大会のノリになる。これが上手い。遊び半分で歌っていると思ったら、ちゃんとアレンジして、後日、本番でアカペラで披露したりする。
 
こうしてゴスペルって作られていくんだ~! 
と、納得した。

 ワタシはと言えばツアーで、バスに乗ったら5分で爆睡の「特技」を身につけた。そのせいで、後にオーストラリアツアーではコアラというあだ名をつけられた。

 コアラは一日20時間寝て、起きるのは食べる時だけだそうな・・・

あめりかアルバム No.10 実験台?!」  アメリカ留学記

 無我夢中のツアー&学校の2重生活が始まってから、1,2ヶ月。
少し様子も分かり、慣れて来たころに、あることが気になりだした。ワタシの発音が・・・やっぱりみんなと違うのだ。外国人なのだから、仕方ないだろうと言う考えもあるが、アンサンブルなのだから、なるべくみんなと揃っていたい。

 そこでスピーチの教授に、発音矯正のレッスンをお願いしてみることにした。先生はとても面白がって、「じゃあ、そういう論文でもかこうかしら。あなたワタシのギニーピッグになってね」とおっしゃる。

は? ピッグpig=ブタ?

また意味不明なことを。
でも、ああ、習慣と言うか習性というか、「YES」と返事してしまう。
(注:ギニーピッグ guinea pig 実験用のモルモットのこと。つまり、「無料レッスンという美味しいエサをあげるから、私の実験につきあってね。」という意味) 

レッスン初日、1~10を英語でゆっくり発音させられる。
先生はじーーーーーっと聞くとおもむろに、紙にさらさらと単語を2,3つ。
「はい、じゃこの言葉を、朝昼晩、鏡を見ながら20回ずつ声を出して読んでね」と言って紙を渡される。(まあ、処方箋のようなものですね。)先生の口の形と、鏡に写る自分の口を見くらべながら練習。「はい、では一週間後にね」
えっ?これだけ??

 その後も何度かレッスンを受け、課題は読むものだったり、テープを聞いたり・・・色々変わったが、決して長時間のものではない。でも、一ヶ月ほどで劇的な変化が!

 

色々な人から「サラはしゃべる時にはモノすごくナマッてるのに、歌を聴いていると外国人のような気がしない」と言われるようになる。

 

えっと・・・、それって・・・・ほめ言葉ですか?

 
 そして、ツアー中は四六時中メンバーといる訳だし、色々な家庭にステイして、学校のことやら日本のことやら質問攻めに合うので、話さないわけにはいかない。

 

日本人なのに日本のことはあまり知らないので、図書館で日本の文化について調べて、付け焼刃レクチャーなどをしているうちに・・・
 

おー、英語が少しずつ話せるようになってきた(⋈◍>◡<◍)。✧♡

続く

 

 

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